| 学科 | 教育文化学科 | ゼミ教員名 | 奥井 遼 | 年度 | 2025年度 |
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| タイトル | 虚構としての「よい子」 -学童クラブの事例から大人のまなざしの転換を考える- | ||||
| 内容 | 本稿では、学童クラブにおけるフィールドワークで観察した日々変化する子どもの姿を記述し、そこに向けられた大人のまなざしを省みた上で、ありのままの子どもの姿を捉えようとする視点から「よい子」を再解釈することを目指す。具体的には、大人が関与する場における事例分析で明らかとなる固定された大人のまなざしを、臨床教育学の立場を参考にして子どものありのままを捉えるまなざしへと転換させ、その新たなまなざしから子どもに委ねられた場を捉えることによって考察を進める。子どもの内側から溢れ出る感情に依拠したありのままの行動は、大人が外から用意した「よい子」と「よい子でない子」という二項対立の枠組みに決して集約されるものでない。「よい子」は「大人にとってのよい子」であり、当の子どもにとっては大人が生み出した虚構に過ぎないと解釈し直せる。 |
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| 講評 | 「よい子研究」が過剰適応や逸脱行動とセットになって議論されやすいことに気づいた筆者が、よい子的な存在そのものの捉え直しを提案する論考である。学童での1年半に及ぶフィードワークをもとに、規範的な行動の求められる場と、感情のままに自由にふるまう遊びの場に照準を定めて記述を重ね、子どもの行動が必ずしも一貫しておらず、同じ子どもであってもさまざまなふるまいを見せることを描き出す。そこから、子どもを「よい子」として捉えるあり方が、教育者の側の枠組みによるものであることを論証し、ある子どもをよい子として見なすような「よい子本質主義」に大人の側が囚われることの問題を指摘する。よい子本質主義から脱したときにこそ、教育者は(あるいは子ども自身もまた)ありのままの姿を捉えるまなざしを得るだろうという見通しが説得的に示される。 |
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| キーワード1 | よい子 |
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| キーワード2 | 学童クラブ |
| キーワード3 | 二項対立 |
| キーワード4 | 臨床教育学 |
| キーワード5 | ありのまま |