卒業論文詳細

学科教育文化学科 ゼミ教員名奥井 遼 年度2024年度
タイトル高校中退者の生活史
内容 本稿では、予防の観点に立つ従来の高校中退研究への批判を踏まえ、高校中退者への生活史調査をもとに、人生の主体として生きる高校中退者のありようを立ち上がらせることを目指す。自身も高校中退経験のある筆者は、4人の高校中退者と出会った。彼らの生活史は、社会構造と個人の生き方をめぐる多岐に渡る示唆を含んだものであった。具体的には、メリトクラシーが生み出す構造の歪みに巻き込まれ高校中退した後に競争の経験によって抵抗していく事例や、一度は高校中退を後悔するもその傷を抱えて生きていこうと腹を括る事例、実存の感覚を取り戻すために高校中退を選択する事例が見られた。これらの生活史から、多数派のライフコースを歩む者と同じように、時に悩み、時に苦しみ、それでもより良く生きようとして選択する、ありふれた、しかし多様な高校中退者たちの姿が浮かび上がってきた。普遍的な存在として、高校中退者を理解していくことが必要である。
講評 高校中退を自己責任に帰するのでもなく、構造的な問題の指摘に留まるのでもなく、それらの絡まり合った状況を、当人たちが人生の主体としていかに選択しながら生を営むかという点から描きなおす労作である。高校中退を経て大学進学を果たした当事者たちの語りを丁寧に紡ぎ出す中で、既存の先行研究がいかに彼ら/彼女らを不当にラベリングしてきたかが力を込めて暴き出される。その先で、筆者が当事者たちの語りを丁寧に紡ぎ出すことで、本人たちの「抵抗の手段としての競争」に再び身を投じる姿や、その後のステージにおける高校中退経験の「編み直し」に光を当てるなど、それぞれ人生の主体として生き抜く等身大の姿が描き出される。学術的な貢献もさることながら、本論考が積み上げた言葉によって、存在することを肯定される人が出てくるに違いない。
キーワード1 高校中退
キーワード2 学校教育
キーワード3 生活史
キーワード4 メリトクラシー
キーワード5 当事者理解