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「老い」に対する社会的なまなざしは、決して肯定的なものではない。衰弱や畏怖のみに固執したネガティブなイメージは、老人自身が抱く自己認識にも影を落とす。我々は、いつの頃から老いの中に否定的なイメージをみるようになったのか。
日本を取り巻く超高齢社会の現状は他の先進国と比べても類をみない。多産多死社会から少産少子社会への変化、医療技術の進歩などによる平均寿命の延伸によって、人々が老いて過ごす時間が飛躍的に伸び、これまでとは違った老後の姿が出現した。
伝統社会においては、老人にとって子どもの存在は生き甲斐を与え主体性を保っていくうえで重要な意味を持っていた。しかし近代化により、これらは乖離し一生の枠組みからも外されてしまう。老幼の繋がりを失うことで、我々は相互依存の在り方を失った。
老人というカテゴリーに一括りされることを拒む多様な老人の姿の背景には、画一的なネガティブなイメージの押し付けと、合理性を美徳とし依存を許さない社会の存在があった。老いには個人差が大きいが、長期的に見れば依存性が高まるのが高齢期の特徴である。その老いの非合理性を無化するような自立幻想が社会には浸透している。そこには依存という言葉に対する冷たいスティグマしかないのだ。 |