内容 |
本論文では、桐野夏生の小説が、その舞台設定が非日常的であるにも関わらず、読後にリアルな小説だったという印象を持つのは何故かという疑問を発端として、桐野の小説におけるリアリティについて考察した。第一章では、桐野は江戸川乱歩賞というミステリーの新人賞を受賞してデビューしたが、今の桐野が書いているのはミステリーなのかどうかという点を考えた。第二章では、ミステリーというジャンルから自由になって桐野が書きたかったのは、桐野自身の言う「虚構の中の実」であるととらえ、その内容を示した。桐野は現実を「きわめて個人的で荒々しく過酷でありながらもどこか滑稽」なものであるととらえており、それを小説という虚構の中に生みだそうとしていた。そのために必要になる、小説における非類型についても論じた。第三章では、これまで論じてきたことが桐野の小説『東京島』にどう表れているかを、舞台設定や各登場人物に注目して検証した。そして、具体的で個人的なエピソードを持って個人を子細に描写することによって、読み手に虚構の中で「実感」を体験させることが、桐野の小説において最も重要なリアリティなのではないかということを結論とし、主張した。 |