内容 |
私たちは、生活する中で多くの他者とすれ違う。その際に、私たちはその人物かどのような人物であるかを、外見を通じて構築していく。私は、自分が他者の印象を外見を通じて形成していくように、他者によって形成される「自分自身」に興味を持った。最も身近である「自分自身」を対象として、自分自身がどのように自己を呈示しているのか、自らが第三者となって客観的に「自分」を見つめたいと考えた。そこで、外見を形どり、私たちの身を守るものであると同時に、「私たち自身」を表す、「被服」を「自分」を探る手がかりとして捉え、22年間の人生の中でどのような被服を着装し、自己を呈示しているのかについて分析を行い、改めて「自分を知る」ことを本稿での主要目的として掲げている。
分析を行うにあたっては、写真データを客観的材料として使用し、その時々の私がどのような被服を着装していたのかを明らかにすると共に、何を行い、誰と過ごし、どのような状況下にあったのかも含め、複合的に自己分析を行った。そして、私自身が記憶している、自分で被服を選択し始めた9歳を、初めて被服を通じて自我が発露した分岐点として仮説を立て、それ以前と以降とでの被服の変化に着目して分析を行った。その結果、9歳及び19歳を境に劇的変化があることが分かった。そのような劇的変化がなぜ起きたのかについて探る上で、G・H・Meadの自我論及びE・Goffmanのドラマトゥルギーを通じ、広がる社会生活を舞台に、「自分」が出現し、「演技者」として振る舞うようになった私という人間の社会化の一例を挙げることが出来た。 |