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宮沢賢治とは一体「何か」、これが最初の疑問である。つまり、人間宮沢賢治の生き様や思想を読み解こうというのではなく、賢治の言葉、そして語りの問題を明らかにすることによって、自らを「わたくしという現象」と語る賢治そのものの姿を明らかにしようということである。そのために、賢治が“どこ”にいたのか(第1章)、そして“どのように”語ったのか(第2章)を明らかにした上で、賢治の主体性と賢治の言葉が持つ〈伝える〉というはたらきがいかなるものか(第3章)、について論じる。
賢治の場所は共同体の内と外を隔てる境界上にあった。そしてこの性格は賢治の童話世界にも受け継がれている。本稿では童話「ひのきとひなげし」を題材にして、ひのきの“境界”的性格を論じる。そのような場所における賢治の語りは、共同体における語り、すなわち価値付与の過程を経て、価値があると予め想定される語りとは異なり、受け手に対して受け取るべき価値を想定させない語りであった。
価値というものは私たちが自分勝手にあてはめたものにすぎない。「賢治」という現象とは、知らず知らずのうちに与え与えられてしまう価値をその動作から消してしまうという現象であったのだ。
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