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小学校の入学式で出会った友人は耳がきこえない両親を持つ子だった。彼女との出会いは、同時に聴覚障害者、そして手話との出会いを私にもたらしてくれた。それからというもの、中学校に上がるまで毎週末のように手話の勉強会や市の障害者スポーツ大会をはじめとする様ざまな行事に参加する機会を与えてもらった。聴覚障害に限らず地域の障害者の接する機会も多くあったが、ろう者や手話は私にとって常に最も身近に存在するものであった。
手話は、かつては手まねと呼ばれ偏見意識の下、口話法の普及と共に駆逐されていた時代があった。それでも決して手話がなくなることはなかった。どのような時代、状況下においても聴覚障害を持つ人々の第一言語は手話なのである。私自身、手話をきちんと学びに通い始めた高校一年生からのこの七年間、学習の場において必ずといって良い程、耳にしてきたことがある。それは「聴覚障害者のことばは手話なのだ」ということである。ピカピカのランドセルを背負っていた頃のあの出会いは私がこうして大学で社会福祉を専攻する全てのきっかけとなった。その学生生活の集大成となる本論文において、手話の歴史や現状も踏まえながら、なぜそれは必要なのか、“ことば、言語”としての位置づけ、その意味、価値、なぜ公用語として認められる必要があるのかを考察していきたい。
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