学科 | 教育文化学科 | ゼミ教員名 | 沖田 行司 | 年度 | 2017年度 |
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タイトル | 近世における庶民教育-寺子屋を中心に- |
内容 | 文部省が新設され、学校が設立されてから、政府による様々な教育政策を経て、今日では子ども達は学校へ行くことが当たり前になっている。そして、九年間の義務教育の中で、子どもたちは、「学校に行く」という自発的な意識ではなく、「学校に行かされている」と受動的に感じているように思われる。私はこういった子どもたちの学びへの意識を問題視している。本論文では、近世における庶民教育の中でも、寺子屋の教育を中心に取り上げて考察していく。寺子屋はどのように発生し、普及していったのか、どういった学びがなされていたのか、寺子屋の師匠と寺子たちの関係はどういったものであったのかを明らかにしていきたい。そして、庶民の手によって発生し、普及した近世の寺子屋を考察していくことで、あるべき学びへの姿勢を考察していきたい。また、寺子屋の教育や価値観、周囲との関係などを調べていくことで、現代の教育現場にも通じる点を見出していきたい。 |
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講評 | 今年度のゼミ生は卒業論文〈20,000字〉が12名で、卒業研究〈10,000字〉が7名の計19名である。卒業論文を選択した学生は毎週演習の時間に指導していたので、それ程問題はなかったが、卒業研究を選んだ学生は指導がないままに11月を迎えた。そのほとんどが論文の体裁をなしていなかった。参考文献から無断借用したものも見られ、書き直しをしてもらった。字数さえ満たせばいいと思っていた学生には大きな衝撃であったと思う。結局、11月ごろから毎日PC持参で研究室に来てもらい、資料を読んで考えていただき、また質問に応じるという作業をおこなった。その成果もあって、提出日の前日には全員が論文を完成することができた。 私は論文指導を通して、はじめて学生と向かい合うことができると考えている。中には「先生よく勉強してはるな」と学生からお褒めの言葉をいただくこともあった。しかし、それはよく勉強した学生だからこそ、その言葉が出てくると思う。むしろ学生を褒めるしかないのである。体育会に所属する学生が多いのも私のゼミの特質であるが、私は論文作成において、一切妥協はしない。玉石混交ではあったが、全員が努力して立派な論文を書き上げたことに敬意を表したい。 |
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キーワード1 | 寺子屋 |
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キーワード2 | 往来物 |
キーワード3 | 近世の庶民教育 |
キーワード4 | 子弟関係 |
キーワード5 | 筆小塚 |