学科 | メディア学科 | ゼミ教員名 | 柴内 康文 | 年度 | 2010年度 |
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タイトル | デジタル機器の普及と現代の若者のテレビ番組視聴の方法 |
内容 | テレビの視聴時間の長短と、テレビの重要度の高低で4グループに分類すると、『短時間・低重要度グループの人は、テレビ番組を「時間を快適化する」気分コントロールの道具として利用する。つまり、後者のグループと比べてよく見た番組の視聴理由に、気分効用効果の理由を多く選ぶ』という仮説をたて、番組のジャンルごとに、短時間・低重要度グループと長時間・高重要度グループの視聴理由のありなしの平均の差をt検定で分析したところ、後者のグループの人の方が気分効用効果のある理由を多く選んだため仮説は検証されなかった。しかし、歌番組の視聴理由1位の「気分転換やリラックス」を選び、お笑い番組の視聴理由2位の「気分転換やリラックス」を選んだ人の割合の差をt検定すると、長時間・高重要度の方が多く5%で有意であり、長時間・高重要度の人はテレビを視聴し番組を選び、短時間・低重要度の人は番組を選んで視聴していると言える。 |
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講評 | 質疑を行いましたので、個別の講評は控えます。ここでは、質疑の意図について説明したいと思います。皆さんに自分の行ったことを手短に説明してもらった上で、わたしの感じた疑問についてうかがいました。そこではあまり手加減せず、皆さんを自説を持つ独立した主張者として扱ったつもりです。そのような経験もあまりなかったと思います。質問の中には、自分の扱った問題や手法が理解できているかを確かめるためにわざと行ったもの(的外れなものも含みます)や、おそらくはそこまでの深さで十分に考えて抜いてはこなかったものもあったと思います。懸命に自分なりの答えを出す中で、自分に何が明らかにでき、何がわからなかったのか、自説の限界は何かということに気づき、また向き合うことになったのではないでしょうか。 実は、長期にわたる卒論執筆という作業そのものがそのようなものだったのではと思います。最後の質疑を通じて、それをもう一度明確にしたかったというのがこちらの狙いです。もちろん、皆さんの論理はまだ不明確で、それに取り組む手法も未熟で粗いものです。しかし、実証的に何かを主張することがいかに困難であるかということ、そして、それを通じて語ることに価値があるのだということは確実にわかったのではないでしょうか。その経験こそが、社会で活躍する上での基礎となると、大学教育に携わる人間としては思います。一人一人が得たものを大事にしてください。 |
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キーワード1 | テレビ |
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キーワード2 | デジタル機器 |
キーワード3 | タイムシフト視聴 |
キーワード4 | テレビ番組 |
キーワード5 | 動画視聴 |