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マスメディアはこれまで原子力関連の出来事に対してどのような報道を行ってきたのか。そこに問題点はなかったのか。海外、国内で事故が多発してきた原子力発電が日本で拡大し続けてきた実情に対し、もっと大々的に警鐘をならすべきだったのではないだろうか。私はこうした問題点を、原子力報道の歴史を遡って検証し、これから求められる原子力報道の在り方を提示する必要があると考えた。
そこで、日本で原子力トラブルや過去の隠蔽事件が続発する以前の80年代までに原子力安全神話が構築されていったと仮定し、原発が日本に導入されることが決定した1950年代からこの1980年代までの朝日新聞と読売新聞の原子力報道を本文において検証した。なお、朝日と読売を研究対象に選んだ理由は、影響力の大きさ、福島第一事故後、原子力を巡る論調の違い、原子力の父正力松太郎が社主を務めた、という以上の3点である。
私は、この2紙の原子力報道を検証していく中で、原発導入期に原子力の平和利用と軍事利用に大きな線引きをしたことや、海外の大規模な事故が発生しても安全性向上を求めるだけの報道に止まったことなど、多くの原子力報道における問題点を見つけた。そしてこの検証を通し、これからは『原発事故のリスクを0に近づけるのではなく、0にしなければならない』という視点に立った原子力報道が求められるという結論に至った。
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