学科 | メディア学科 | ゼミ教員名 | 河崎 吉紀 | 年度 | 2022年度 |
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タイトル | 日露戦争後の新聞 -ポーツマス条約・日比谷焼打事件・戒厳令をモデルに- |
内容 | 1904年(明治37)年に勃発した日露戦争は明治時代における大きな節目となる戦争であり、アジア人の国家が白人国家に初めて勝利した戦争でもあった。一方で賠償金は支払われず、領土拡大もごく一部となったその講和条約は、多大なる犠牲を払った国民の期待を遥かに下回る内容となった。こうした結果に激憤した国民が1905年9月5日、東京日比谷公園に集っていた。開かれた国民大会は民衆と警官隊との刃傷沙汰から暴動事件へと発展、内相官邸や新聞社が焼打される大騒擾へと変貌していった。 本稿では、当時の「東京五大紙」において、戦前同様に多種多様な議論が紙面上で交わされていたのかを先行研究を踏まえながら検証した。ポーツマス条約、日比谷焼打事件については政府の御用新聞たる『国民新聞』とそれ以外の四紙とで世論が大きく二分されていたことが分かった。しかし、新聞取締りを含む戒厳令については、『東京日日新聞』も政府批判の立場を軟化させていたことがわかり、それぞれのトピックに対して様々な議論が交わされていたことが明らかとなった。(450字) |
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講評 | 個人的な興味や関心を普遍性をもつ研究テーマに改め、先行研究を整理し、調査によって発見または検証が行われたことを評価する。 |
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キーワード1 | 日露戦争 |
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キーワード2 | 東京五大紙 |
キーワード3 | ポーツマス条約 |
キーワード4 | 日比谷焼打事件 |
キーワード5 | 戒厳令 |