講評 |
本年度から卒業論文の口頭試問を実施した。教員にとって負担も増えるが、これはすべきであると思っていた。実際、行ってみて学生にも緊張感があり一つのけじめとして意義がある。私自身も例年よりも卒論指導を早めにし、発表も徹底するようにした。学生、教員いずれにも効果がある。
卒論はいかに稚拙であっても、学生時代の決算ではある。いかに決算するか。そのさせ方に各人の個性が潜んでいるのがいい卒論だろう。問題意識が明確であるか、関連の研究に目を通しているか、その評価が自分なりの尺度をもってできているか、深く人一倍考えた点があるか。このあたりが私の着目している点である。とはいえ、それらがきちんとできるには30歳くらいまで勉強しないとだめで、卒論の評価の具体的基準は、論旨が通っているか、文献の数は多いか、正確に脚注が付されているか、という次元がものをいう。
私の本当の願いは、形式がおかしくても、結論も定かでなくても、人一倍こだわり考えたことがこういうことですと表現できている論文に出会いたいということだ。強烈な深掘りと言うべきか。
私自身の卒論の口頭試問については汗顔の記憶ばかりが残っている。主査が中西洋先生、副査が兵藤つとむ先生で、なんと40分の遅刻、しかも兵藤説は間違っているという内容、かつ兵藤先生の質問の意味がわからず中西先生に助けられて答える始末。それでも、そんなことが40年近く前のことでも鮮明に思い出されるのが今では懐かしい。
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