学科 | 産業関係学科 | ゼミ教員名 | 石田 光男 | 年度 | 2010年度 |
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タイトル | 中国の都市と農村の格差問題 |
内容 | 中国では貧富の格差が非常に大きい。中国の農村では、貧しさゆえ多くの農民が都市へ出稼ぎに行く。その半面、北京や上海の都市では、大きな家に住み、高級車に乗っている人々も多くいる。このように、中国国内では、貧しい生活をする者と、裕福な暮らしをする者との差が歴然とした社会が存在する。なぜこのような貧富の格差が起こったのか。 本稿では、中国における貧富の格差というものを都市と農村という視点からとらえ、その実態と原因を把握する。第2章では、中華人民共和国成立から改革・開放政策、現代に至るまでの経済政策の流れから格差との関係性を見つけ出す。第3章では、所得格差がいかに経済発展とともに拡大して行ったのか、改革・開放期、市場経済導入期を中心に示す。また、今日に至る所得格差拡大の原因を探る。しかし、経済発展にともなって所得の格差が拡がることは経済原理から納得できるものである。では、何故中国で格差は縮まらないのか。それには、新生中 国時代につくられ今もなお効力を保つ中国特有の戸籍制度が関係していることに至った。これについては第4章で取り上げる結論として、都市と農村に拡大した所得格差は、都市と農村を分断する戸籍制度が二元社会構造をつくり、農民を農村に縛り続け、富める者はさらに富み、貧しいものはその貧しさから抜け出せない社会になっていると示す。 |
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講評 | 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 印象に残る良き作品について若干の言及をしたい。「先生と私」は卒論テーマが定まらずに困った末に、ゼミの先生の研究をきちんと理解しようとした、素直で学生らしいよい卒論である。それも研究方法、研究態度を追いかけているのが優れている。私が何故、政策的指南を行わないのかをよく理解しようとし、その上で、にもかかわらず、私の研究は「生き方を指南している」という結論は鋭い。「教員組合のあるべき姿」は、わからないことを当事者にあたって調べるという産業関係論の実証的精神をよく体現した力作である。その心構えがよい。「感情と経験を言葉にする」は、西部氏の『人間論』をしっかり自分なりに読み込む努力が、通常の学生にない真摯さに貫かれていて私のような年配者に「もっと議論してください」と訴えているようで、誠に好感のもてる作品である。「グローバル社会で生き抜くための人材戦略」は私が唱える日本の伝統的人的資源管理の美点への「惑溺」的欠陥を若い世代の視点から覆そうとする、切迫感がすばらしい。心のこもった作品である。 また、最も嬉しかった作品は「日本の人事・賃金制度の歴史」である。何事にも無関心で無気力な同君が「私はこんなに変わりました」ということを喜びに満ちて表現しているからだ。教育をしていてめったに出会えなかった喜びだ。私が励ましを得た貴重な作品である。 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
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キーワード1 | 改革・開放 |
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キーワード2 | 社会主義市場経済 |
キーワード3 | 戸籍制度 |
キーワード4 | 格差 |
キーワード5 |