学科 | 産業関係学科 | ゼミ教員名 | 上田 眞士 | 年度 | 2011年度 |
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タイトル | 格差社会と教育の不平等 |
内容 | 近年、日本経済の長期不況、非正規雇用の増大などにより社会での格差が拡大し、問題となっている。社会格差といっても、その内容は様々なものとなっており、業種や会社による賃金格差や親の経済力によって生まれる教育格差などがある。実際に筆者の同世代で身近な友人であっても、大学へ進学する意欲はあったが親の家計的な問題で、進学を余儀なくされて、現在働いているものは少なくない。一方筆者は今まで、親に敷いていただいたレールの上をただただ走ってきた。貧困な家庭では経済的余裕がないなどの理由で貧困層のもとに生まれた子供は、経済的な家庭の事情で進学が困難であり、子供の能力を発揮する機会までもが減っている。義務教育は憲法によって国民みんなが受けることが決められているので、基本的には差別が生じることはない。しかし、高校・大学へ進学する際においては親の所得がかなり大きな影響力を持っていることは確実だと考えられる。 |
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講評 | 卒論テーマについては「できうる限り,広く雇用社会のありように関わる事柄から選択するように」,年度のはじめにそうした土俵の設定を行いました。提出して貰った論文テーマを列挙してみると,「未婚化や少子化対策」「若年者の雇用問題」「非正規雇用と格差社会」「ベーシック・インカムの可能性」「拡大する日本の貧困問題」「銀行業務とホスピタリティ」「看護師の労働と転職」等々となっています。これらのテーマを一瞥しただけで,現代日本の雇用社会のありようや,その抱える問題が浮かび上がってきます。卒論作成という課題に対して,ゼミ生皆が誠実に取り組んでくれた結果である,基本的にそのように考えて良いでしょう。しかし,その上で卒論を読んでみて,いくつか頭に想い浮かんできた事柄もあります。どういう論文が良い論文なのか,私なりに大事だと思うポイントを二つほど記しておきたいと思います。 一つには,論文の内容にかかわって,「批判的」な研究であって欲しい,そうした要望です。現代の雇用社会の住人である我々が,その雇用社会の一断面を取り上げ,現に存在するものを正面から受け止めようとするわけだから,そこでは必ず何らかの課題意識や問題意識が生まれてくるはずです。そうした現実に対して抱く緊張感を,論理的に整序して記述しようする姿勢が,論文にとってはかなり大事なことだと思います。本質的に批判的な学問であること,それが社会科学の生命線だという命題は,決して私一人の独善ではありません。それから,いま一つは,論文の基本的な作法についての事柄です。言いたいことは,自らが設定した「対象」と,それに対して分析や論評を加えていく「自分」,この二つの距離感を論述に際してはきちんと保って欲しい,それがしっかりとした記述かどうかを分かつ大事なポイントとなるだろうということです。例えば,企業や経営を対象とする場合,その企業経営の目線や言葉は,言うまでもなくビジネス=「実践」の世界の目線や言葉です。他方,論文での目線や言葉は,それとは異質な「学問」の目線や言葉でなくてはならないでしょう。たしかにその他にも論文には,幾つかの重要な叙述の形式がありますが,以上の基本が確保できていれば,後は技術的な問題ということになると思います。 とはいえ,「言うは易く行うは難し」というのが,先人の残した金言です。はじめて書く論文である卒論を,私なりに大切だと思う上述の二点を基準に,ばっさりと裁断したつもりは全くありません。論文を執筆する際の「心がけ」だと考えて欲しい,そのように思います。 |
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キーワード1 | 格差社会 |
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キーワード2 | 機会の平等・不平等 |
キーワード3 | 教育格差 |
キーワード4 | 長期不況 |
キーワード5 |