学科 | 産業関係学科 | ゼミ教員名 | 石田 光男 | 年度 | 2013年度 |
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タイトル | 希望ある社会に向けた格差是正戦略 |
内容 | 本論文は、現在の日本の格差社会の実態を研究したうえで、格差是正のための具体的戦略を論じたものである。以下概要である。 日本の格差問題は現在深刻な状況の中にある。所得格差、貧困率、完全失業率など、格差の程度を映し出すこれらの数値は、ここ20年で大幅に増加している。 そもそも、戦後から1990年頃までにおいては、日本は格差の小さな国であった。しかし、1990年後半になり、新たな経済市場が台頭したことや、不景気の中で小さな政府を目指し、推し進めていったことによって、現在では格差が拡大し、社会問題になっている。 では、格差を是正するためには、どのようにしていくべきなのか。それは、現在の格差が構築されるシステム自体を見直し、実質的な格差を縮小させること、また、希望の持ちやすい社会を構築することである。これらの大まかな理想を実際に実現させていくために、歳出構造・税金制度や社会保障制度、教育問題や非正規労働市場など、様々な視点から個別具体的に政策を検討する。 |
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講評 | 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 そこからが君たちの出発である。 いくつかのコメントをしたい。 第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。 第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。 第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業で終わり、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっているのは自明ではないか。偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
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キーワード1 | 希望格差 |
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キーワード2 | ポスト工業社会 |
キーワード3 | 平等原理主義 |
キーワード4 | 仕事の二極化 |
キーワード5 |