学科 | 産業関係学科 | ゼミ教員名 | 石田 光男 | 年度 | 2014年度 |
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タイトル | 公務員制度改革と人件費削減問題について |
内容 | 本論文では、我が国の極めて逼迫した行財政状況の中で、公務員の人件費を如何にして抑え、どのように制度を運用していくかが重要課題の一つである、近年政府によって推進が図られている公務員制度改革について議論する。本格的に議論がなされはじめた1996年からの制度改革の変遷を見ていく中で、中立・公平性を担保することを目的として職務を遂行する公務員という職業の特殊性に注目しながら、主な論点である公務員の給与制度問題と定員削減問題についての改革取り組みの現状を記述していく。公務員は、民間準拠・国公準拠の合理的な手法により給与が決定され、社会的な財やサービスを供給する業務が主となることから、個性豊かな社員を元気付け、独創的な活動を促すところに狙いがある民間水準の人事評価制度の導入が難しいとされている。そこに十分すぎると言っても過言ではない程の定員削減が重なることで誘発される、職員の士気の低下や負担の増大の困難な課題についての認識を深め、公務員のモチベーション向上に向けた制度的取り組みはさることながら、日本経済を発展させる上で官民のバランスが維持できる改革の模索がされる必要があるだろう。 |
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講評 | 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 そこからが君たちの出発である。 いくつかのコメントをしたい。 第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。 第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。 第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業でお終い、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっている。 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
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キーワード1 | 公務員制度改革 |
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キーワード2 | 給与制度 |
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