学科 | 産業関係学科 | ゼミ教員名 | 石田 光男 | 年度 | 2018年度 |
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タイトル | 連続起業家の働き方 |
内容 | 本論文では、自ら進んで事業や会社を興す起業家たちとは違った、起業し、軌道に乗ったところで会社を売却、そしてまた新しい会社を興すということを繰り返す連続起業家たちの働き方や、起業すること自体が難解であるという概念に対して、起業すること自体の難解さのイメージを払拭し、連続して起業を繰り返すことの生き方を多角的視点から評価する。 調査の結果、起業をし、軌道に乗った会社を売却することを繰り返す働き方はいかに自由であり、お金と時間に縛られない働き方であることがわかった。ニッチな市場で勝負することも大切であるが、アイデアは真似をすることが大切であり、起業することは一部の人にしかできないというイメージを払拭することができた。連続起業家の働き方を選んだ際の売却の方法をはじめ、起業を考えている人にとって重要なことも理解することができ、近年に生まれた言葉である連続起業家がこれから増えていくことが予想される。 起業すること自体も難しいのに連続してできるはずがない、という概念を取り払うことができ、自分の可能性を無限大に感じることが可能になる本論文は、学生のこれからの不安を解消してくれるだろう。 |
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講評 | 1.「連続起業家の働き方」は本人の希望や意欲が分かる論文である。論文の細かな形式の不備はともかく、人のために努力している仕事は、それ自体が喜びであるという主張には真実がある。だが、私とは随分距離がある人間なんだなとも思った。 2.全体の講評。 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 そこからが君たちの出発である。 いくつかのコメントをしたい。 第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。 第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。 第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業でお終い、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっている。 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
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キーワード1 | 起業 |
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キーワード2 | 売却 |
キーワード3 | 連続起業家 |
キーワード4 | アイデア |
キーワード5 | 市場 |