学科 | 産業関係学科 | ゼミ教員名 | 石田 光男 | 年度 | 2018年度 |
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タイトル | 「採用」の視点から見る人的資源管理学を学ぶ方法 |
内容 | 本論文では、「学生就職活動」や「非正規雇用問題」等を背景に、企業の採用活動の実態について述べる。採用を考える際、定義が曖昧になりがちな人員の「質」の問題に重点を置かず、企業にとって一定の方法を通じて明確に確定できる人員の「量」の算定方法を中心に展開する。A社に対するインタビュー調査の内容を報告するうえで、正規採用と非正規採用のいずれにせよ決定的な役割を果たしている「事業計画」と採用のつながりを探求する。 採用活動の中の、採用量の決定の過程は、事業計画が人員の採用という次元にどのように落とされたかということである。この中身を模索することにより、採用人員量の算定方法を解明するとともに、正規採用の隙間を補充する、または、人員コスト削減を目的とする非正規雇用の問題に関しても示唆が得られる。 そのほか、企業の採用を切口として、採用学と人的資源管理学を学ぶ方法についても考える。「記述できるもの」と「記述しきれないもの」を区分して、職場のルールに忠実な態度で現場の事実を発見したうえ、採用学と人的資源管理学の勉強する方法を語りたい。 |
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講評 | 1.「「採用」の視点から見る人的資源管理学を学ぶ方法」は「採用」という一事象を調べることによって、産業関係学の方法を体得できた喜びが書かれている。方法を喜びとして語ることは崇高なことである。 2.全体の講評。 卒業論文は一人一人の言葉の正しい意味での自己紹介だと思う。「わたしはこういう人間です」「これ以上でもこれ以下でもありません、私という人間は」ということをどうしても表現することになってしまうのが言葉の本性だからである。言葉遣いの現在の到達点、それが各人の卒業論文である。 そこからが君たちの出発である。 いくつかのコメントをしたい。 第一、参考文献からの引用は丁寧にということを強調した。私は正直な論文が好きだ。だから他者からの引用と自分自身の言葉とを仕分けする作業は正直な自分になる作業である。その結果、みすぼらしい自分の発見に行き着くことが多いとは言え、かすかな輝やきをたたえている自分もそこにはかならずいるはずだ。その輝きを火種にこの人生を歩むのだ。 第二、実証的な研究であれ、文献研究であれ、自分を横に置いた論文はよくない。直ぐに反論があろう。実証研究であれば、事実に虚心に向かえば向かうほど自分などを出しようがないではないか、文献研究であれば文献の論旨を正しく追えば追うほど自分などを出しようがないではないかと。しかし、無限な事実の中からどんな事実が重要だと観るかに自分が現れるのだし、文献研究であればマル写しでない以上、自分の読み方が現れるのだ。その自分の現れ方、あるいは表し方が自分の個性であり、その説得力が自分の力量なのだ。そもそも自分を隠し続ける勉強などは面白くもないはずだ。勉強は打算でやるのではなくて面白いからやるのだ、ということをわかって卒業して欲しい。 第三、研究(勉強)と社会での仕事の関係。研究(勉強)は卒業でお終い、4月からは仕事という別世界だという理解は浅はかである。仕事を始めてみて本当の勉強が始まったと先輩たちは言う。実は地続きなのだ。全く二つの世界が別物であれば、いいですか、大学での勉強は無用だということになる。その気配が濃厚に漂っているのが現代日本ではあるけれど。仕事には実践が伴うが、勉強には認識という脳細胞の活動はあっても実践が伴わないという区分が先の言明の根拠になっているが、認識と実践とはさほど機械的に区分できない。「こう考える」、だからこうしてみようというように地続きになっている。 偽りのない自分の到達点としての卒業論文を直視して、そこから自らの研鑽を積み上げていって欲しい。 |
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キーワード1 | 採用 |
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キーワード2 | 要員管理 |
キーワード3 | 事業計画 |
キーワード4 | 非正規雇用 |
キーワード5 | 赤誠な態度 |